ペンギン京 都 の お 祭 りご 案 内

お盆の行事 お盆以外の祭り

 

  お盆の行事いろいろ

お盆とは、中国から招来された仏教行事で、『盂蘭盆会』の略。
もともとはインドの『ウランボン』の音訳で、逆さ吊りにされた苦しみを意味している。
日本では、奈良時代に始まり、平安時代には仏教の普及と供に広まっていった。

8月7〜10日
六道まいり
・・・・・六道珍皇寺・西福寺・引接(インジョウ)(千本閻魔堂)・大報恩寺(千本釈迦堂)(8/8〜15)

「愛宕の寺も打過ぎぬ。
       六道の辻とかや。
 げにおそろしや此道は、冥道に通うものなるぞ。」
                   ― 謡曲「熊野
(ゆや)」より ―

 六道の辻とは、珍皇寺門前の道のこと。
 この寺の位置が、昔の京都の埋葬地として有名な「鳥野辺」に近いことから、このあたりは現世と冥府(霊界)の接点と信じられ、六道まいりがひろまった。
 京都では、「六道さん」と呼ばれ親しまれ、8月7〜10日は「五条坂の陶器市」(お盆以外の祭り参照)と合わせて、大変な賑わいを見せる。
 当日、先祖の法名を書いた水塔婆に槇の葉で水をかけて供養する。
また、本堂は開け放たれ、『地獄絵図』がかけられている。
 参拝者達は、十万億土の果てまでも響くといわれる『迎え鐘』を打つ。この鐘の音が冥界にまで届き、先祖の霊を迎えることが出来ると信じられているのである。

 
『迎え鐘』は上京区の引接寺・大報恩寺でも行なわれる。

 六道の辻の小さな飴屋さんに、「幽霊の子育て飴」というものが売られている。
昔ながらの作り方で作られた、素朴で懐かしい味のこの奇妙な名前の飴には、「日本昔話」にも残る不思議な由来がある。

― 昔、この六道の辻の飴屋に、夜なべに飴を買いにくる、若い女房がおりました。
 女房が来るのは、決まって真夜中。 店の主もみんな寝静まった頃に、<トントン・トントン>と木戸を叩いて飴を買いにくるのだ。
 主が戸を空けて除いて見ると、青白い顔をした、きれいな女房が立っており、か細い、ささやくような声で、
「夜分にすみませんが、飴を下さい・・・」とだけ言う。
 主が飴を渡してやると,女房は力の無い、それでも嬉しそうな声で
「おおきにありがとうございました。」というと、寺の方に帰っていった。
 これが何日も続いたある日、さすがに不信になって、
「何所の女房だろうか・・・」
と、後をつけてみることにした。

 その夜も女房は飴を買いに来て、静かに帰っていったのを見て、主が後を追うと、女房は急ぎ足でそのまま寺に入っていった。
 見失っては大変と、主も寺へ入ると、女房は墓のある方へ進んでいく。
「なんやー、墓を通ると近道なんかいな?」
 怪訝に思いながらも、後を追うと、女房の進む先から赤子の泣き声が聞こえてきた。
「こんな真夜中にこんなトコでややこ(赤子)の声が聞こえるハズはない・・・。何かに化かされでもしてるんかいな・・・」
 あれやこれと考えるうちに、女房が一つの墓の前で、スッと姿を消してしまった。
 あわてて女房が消えた当たりに行ってみても、何も無い。
 見失ったかと,あたりを探してみたが、女房の姿は見当たらない。
もう1度、女房が消えた墓の所へ戻ってみると、また、赤子の鳴き声が聞える。驚きながらも、耳を澄ませてみると、墓の下から赤子の泣き声が小さく聞こえるではないか。
余りの驚きに声も出ないまま、飴屋の主は寺の住職の元へとんでいき、事の次第を話して聞かせた。

話しを聞いた住職は、大急ぎで着物を着替えると、近くの村へと急いだ。
 道々語られた住職の話し、
「この近くに住む若夫婦の女房の方が、 病の末に子供を身ごもったまま亡くなってな。 産み月になってはいたが、母体の方が亡くなってしまっているのでは、 どうにもにもならぬと、 そのまま埋葬されることとなったんや。 女房は亡くなった後に、 生まれて来た我が子が気がかりで、 幽霊となり子育てをしていたのやろう。 亡くなった者には乳は出ん。 仕方なくあんたの店の飴を買うて、ややこ(赤子)に与えてたのやろうなぁ。」
 翌朝早く、女房の墓が掘り返されると、女房の遺体の横でスヤスヤ眠る、丸々と太った赤子がおりました。
 女房が飴を買って与えていた証拠に、赤子の手には飴屋の飴がしっかりと握られておりましたそうです。
 また、飴屋の主が店に帰って、事の顛末を家の者に話していると、
「幽霊が金を持ってるいうのも、不思議な話しや。」
 ふと売上を入れていた引出しを見ると、中に、死者に持たせるはずの<三途の川の渡り賃>の紙に書かれたお金が出てきた。
後日、住職にこの話しをすると、

「女房は、自分が冥土に往生するよりも、子育ての為にこの金を使こうたんやろ。」
「ややこは、どうしてます?」
「すくすく育ってる。あんたとこの飴が、よっぽど栄養あったとみえて、ほんまに元気なややこやで。」
飴屋の主は、なにやら嬉しいような、切ないような心持ちで帰って行った。

その後、この飴屋の飴は、「幽霊の子育て飴」と呼ばれ、後世まで長く人々に親しまれている。 

8月14〜16日
万灯会
 8月にある盂蘭盆会(ウラボンエ)の精霊供養。
 
大谷祖廟では、午後6時頃、境内の石灯籠や墓地に置かれた万灯に火が入り、その光景は参拝の人々を幻想的な世界へと引きいれる。また、万灯ひとつひとつには亡くなった人の法名や施主の名が書かれている。
 
六波羅蜜寺では、8/8〜10日本尊十二面観音像に、大の字型の燭台に灯明が並べられ、本堂内陣にも灯明が灯される。
 
壬生寺では8/9〜16日、一千を超える灯籠に火が灯され、六斎念仏なども行なわれる。

8月15・16日
松ヶ崎題目踊り・・・・・涌泉(ユウセン)

8月16日
五山の送り火
 盂蘭盆会の広がりと供に、鎌倉時代になると、お盆に霊を迎え、送るときには火を灯すという習慣が定着。その後、万灯会松上げなどの行事が各地で行なわれるようになる。
 このような火を焚いての祈りが、山を利用して京都周辺で行なわれるようになったのが、送り火の始まりである。
 江戸時代初期の送り火は、人が手に松明をもって山上でか掲げるというものだったが、京都全山にその様子が見られたと記すものもある。
 江戸中期には、十山に及ぶ送り火が定着しており、現在の五山になったのは第二次世界大戦後の事である。

点火時刻

点火文字

点火される山の名

良く見えるポイント

20:00

大文字

大文字山(如意ヶ岳)

京都御苑内 (蛤御門から中へ)
鴨川丸荒神橋〜御薗橋

0:10

松ヶ崎西山(万灯籠山) 北山通り
ノートルダム女学院付近

20:10

同 東山(大黒天山) 高野川高野橋北

20:15

船形

妙見山(西賀茂船山) 北山通り北山橋北西

20:15

左大文字

左大文字山(大北山) 西大路通西院〜金閣寺他

0:20

鳥居形

曼荼羅山(如意ヶ岳) 松尾橋・広沢の池他

 五山全てを一所にいながら見るのは、昨今の高層ビル建設により、不可能となっている。
ポイントとしては、今出川通り当たりからやや北よりの、高層ビルの屋上等からなら、いくつかをまとめて、それなりに見えるかもしれない。
 ただ、あくまでも「それなり」である。位置によっては、『大』の文字が『ヒ』にしか見えないこともあるので、あまり欲張らない方がよいかもしれない〈^^;〉
 勝手にビルに入り込むのもタブーである(常識やね)。

8月16日
精霊送り(万灯流し)・・・・・嵐山
 

8月23・24日(近年では、この日に近い土日に行う所が多い)
地蔵盆・・・・・京都市内外の各町内
 「お地蔵さん」と、親しく呼ばれる地蔵菩薩は、地獄の鬼から子供を守るといわれ、広く信仰されている。
 8月24日は、お地蔵さんの縁日で、この日と前日に地蔵菩薩の供養会が行なわれる。これが地蔵盆で、地蔵菩薩の功徳を伝えると供に、子供の成長と無病息災を祈って行なわれる。
 各町内(町(まち)というものではなく、極ちいさな町屋の単位で、道の辻角から次の辻角までくらいの範囲、件数でいうと、1町内わずか30〜40軒)で祀られているお地蔵さんを祠から出し、きれいに洗って衣装変え(新しい赤い前掛け)をして、一軒の家の表の間に祭壇をしつらえ、餅や菓子を備えて祀られる。

 その前に御座を敷き、町内の子供達が集まって、遊ぶ。

※ ペンギンの子供の頃も、地蔵盆は楽しい思いでになっている。
 朝、町内の世話役さん達によって、お地蔵さんの飾りつけ・提灯の飾りつけ・子供の遊び場の準備等がはじまる。
 準備が整うと、大人達がお供え等を持参し、子供達が集まる。
 おやつの時間・金魚すくい・福引・ゲーム等々、子供だけでなく大人も楽しめる企画が満載されており、それぞれ予定の時間になると大きい子供が鐘をならして行事を知らせて回る。この鐘を叩く係りも子供にとっては楽しい遊びで、役の取り合いになる。
 地蔵盆の行事の中でも、メインイベントは、「数珠回し」で、一周4〜5m位の大きな数珠を、子供達が輪になって回し、大玉についた房の所で数珠を持ち上げ「アン(関西で、神仏に祈るとき、子供に
「まんまんさんにアンしとき」と教える。このアンは<祈願=
KIGAN>のアンだったと思う。)」と拝む。地味なようだが、これも、小さい子にはなかなかスリリングな遊びにみえるようで、大きい子が数珠回しの輪に多く入ると、どうしても早く回してしまう為に、小さい子はとにかく必死にならなければ、そのまま「アン」出来ずに取り残されるのだ。
 もう一つ、地蔵盆の初日に行燈の木枠と半紙が各家に配られる。
その半紙に子供が好きな絵を描く。テレビマンガのヒーローやヒロイン、好き勝手に書いた落書きのような絵、お父さんやお母さんの似顔絵など、その時に子供の心を一杯にしているものが色とりどりに描かれる。その半紙を行燈の畿枠に貼りつけ、夜になるとろうそくが灯されて、各家々の玄関先を彩る。
「○○ちゃんの絵上手やなぁ。」
「□□くん、また仮○ラ○○゛ーにしてる。」

等など、チビッコ評論家の誕生となる。

 近年では、23・24日に囚われず、子供も大人も楽しめる(少子化の影響もある)ように、8月20日を過ぎた土・日曜日に行なわれる事が多くなった。

 お盆以外の祭り

8月1日
八朔・・・・・祇園
 八朔とは、陰暦で8月1日(朔日―ついたち―)のこと。
 本来、稲の穂入りの時期を迎えるにあたり豊作を願うものだが、稲穂=田の実から「たのみ(頼み)」に通じるものとして、日頃頼みにしている(頼りにし、お世話になっている)人へ贈り物をする日という習慣が生まれた。現在の<お中元>にあたる行事といえる。
 祇園等の花町では、舞妓や芸妓衆が、日頃お世話になっている舞や三味線等の芸事のお師匠さんや、お茶屋さんの所へ、夏の礼装に身を包み揃って挨拶に回る。

立秋前夜(8月7日頃)
矢取神事(夏越
―なごし―神事)
・・・・・下鴨神社
 1年の後半が、無病息災である様にと願う神事。
 立秋の前夜、下鴨神社境内の糺の森の御手洗池に、周囲に4本の斎竹(イミダケ)が立てられ、池の中央に50本の斎串(イグシ)―斎矢(イミヤ)が円形に立てられる。
 祭官の祝詞が終わると、池の端に待っていた20人余りの褌姿の若者が、一斉に池に飛び込み斎串を奪い合う。
 この斎串を持ちかえると、開運厄除けのご利益があるといわれている。

8月7〜10日
陶器まつり・・・・・五条坂
 陶祖大神を祀る若宮八幡宮の例祭に合わせて催される。
 東山区五条通の東大路通りから五条大橋東詰までの間に、約500店の陶器店の露店が並び、<清水焼><久谷焼><信楽焼><有田焼>等、高級品から、普段使いの食器まで、釜元からの直販品などの掘り出し物も並び、毎年多くの人が訪れる。
 この陶器市は、元は珍皇寺の精霊迎え(おしょらいさんのお迎え)の参拝者を目当てに、露店が並んだのが始まりというだけあり、六道珍皇寺や六波羅蜜寺に近く、お盆前の風物にもなっている。

8月15日
松上げ・・・・・花背
 ※ 京都バスで出かけられる方は、祭りの後には帰りのバスが無くなってしまうので、
   宿泊施設の確認・予約をしてからお出かけ下さい。

 上桂川の扇状地の灯籠木場(とろきば)に、一千本の松明が用意され、中央に高さ20mの灯籠木(先端に竹で編んだ大笠を取りつけたもの)が立てられる。夜8時、地元の保存会の男達により、松明に火が付けられ、鐘や太鼓の音を合図に小松明(上げ松)をクルクル回し上空の灯籠木めがけて投げられる。灯籠木の中に松明が入ると、笠の中の杉葉に火が移り、灯籠木は大きな炎を上げて燃え始める。
 愛宕信仰の火除け・五穀豊穣の願掛け・お盆の送り火、等の意味合いが込められている。

8月24日
松上げ・・・・・広河原・雲ヶ畑
 ※ 京都バスで出かけられる方は、祭りの後には帰りのバスが無くなってしまうので、
   宿泊施設の確認・予約をしてからお出かけ下さい。

8月16・25日他
六斎念仏・・・・・吉祥院天満宮他
 鐘や太鼓の囃子で、念仏を唱えながら踊る。
 平安時代中期、空也が民衆に教えを広める為始めた<踊念仏>が基礎。国の重要無形民俗文化財。
 吉祥院・梅津・郡・久世・小山郷・西院・西方寺・嵯峨野・六波羅蜜寺・桂・千本・中堂寺・壬生・上鳥羽・円覚寺などに六斎保さ存会が組織れている。

8月23・24日
千灯供養・・・・・化野(アダシノ)念仏寺
 念仏寺は、元は京都の葬地の化野に葬られた人々の菩提を弔うために弘仁年間(810〜824年)に空海によって開かれた五智山如来寺である。
 後に、法然が念仏道場としたことから、念仏寺と改称された。

「あだし野の露きゆる時なく鳥辺山の烟(ケブリ)たちさらで」
                         ― 徒然草・吉田兼好 ―

 山内には、近辺から出土した数多くの万塔や石仏が並び、無縁仏として供養されているおよそ八千体にのぼる石仏などに、蝋燭による献灯が行なわれる。
 この千灯供養は明治28年(1895年)に始まったが、その幻想的な光景に、参拝客が急増したため、現在では予約制になっている。

      問い合わせ・・・仏野念仏寺 075-861-2221

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